自己紹介

20歳の時、英語が好きでも得意でもないのに、無謀にもただコアラを見てみたいと思ってたのです。そこで友人に誘われるまま、ほぼ英語力ゼロ(笑)でオーストラリアにワーキングホリデーで渡豪。

英単語の電子辞書で乗り切れるだろうと甘く考えていました。さすがに、電子辞書と身振り手振りだけでは言葉の壁を乗り切れるわけもなかったのです。

そこで現地の家庭に家政婦として住み込み、耳から英語を覚えました。


オリンピック前の景気のいい時期に行った人からは、仕事先は沢山あるから大丈夫だと聞いていました。実際はシドニーオリンピック後はオーストラリアの景気が悪化。

バイト先もあまりなく、日々減っていく残高にドキドキしながらも、なんとか1年頑張って滞在しました。

最後に勤めた免税店(ファントス)では、マネージャーでもない、ただの一スタッフがそこを勝手に仕切っていました。その親世代の日本人女性から、私がストッキングを履き忘れていたことで、「あなたクビ」と、その日突然解雇されてしまいました。


ちょうど帰国予定も近づいてので、一緒に東南アジアを回る友人を待つ間2週間、ぶらぶらして過ごしました。

とはいえ、お金はないので、基本的にはシェアハウスに滞在。生活保護を受けているイギリス人オーナーとTVを見たり、公園に散歩に行く程度だったけど。


日本に戻ってからは学費を貯め、日米会話学院夜間部に通いながら昼は仕事を続けました。

その後はイギリスに2年間留学。しかし、お金が底をつき、泣く泣く帰国。


その後も日本脱出を図り、フィリピンのセブ島にある日本の縫製工場で、現地通訳として半年間滞在しました。

実際は通訳とは名ばかりで、一緒にミシンをふんだり朝6時から夜20時過ぎまで工場にいるという奴隷状態。

南国にいながら海も行けず、自由のない生活でした。

また現地の工場の子たちは英語を理解しても、ビサヤ語で返答してくるので、私の英語に変な訛りがつくことに…

一年の契約でしたが、現地の労働状況に耐えきれず逃げるように帰国(-_-;)


結婚前には今の旦那と一緒にニュージランドにワーキングホリデーに行き、オークランドからどんどん南下し、最終的には南の小さな街リバトン(Riverton)のホステルに住み込みで働き、その後オーストラリアを2カ月かけてシドニーからケアンズを周り帰国。

その後日本で南米からの輸入商社や他の貿易会社、また船会社などの経理、総務に長年従事してきました。

2021年コロナ禍がキッカケとなり、色々調べ出した事で今までの世界や日本の矛盾や疑問点が繋がり、腑に落ち驚愕。

同時に見えない世界の存在を体感し、その後、面白そうなものや、楽しそうなものはとりあえず何でも参加。


その中でもきっかけとなったのは、退行催眠。

そして過去生が見え、前世を思い出したアロマリーディング。

そこでアロマの力に感激し、魔女のサトルアロマセラピーを受講。そしてアイルランドからオーガニック精油を直輸入し販売するまでになりました。

現在アロマの保有本数は100本以上。

2023年5月に長年勤めていた貿易関係の会社を退職。

その後、2021年11月にすでに借りていた場所にて、学んだ施術ヒーリングを少しづつ提供開始。

2023年には、息子の部活のチームメイトの怪我がキッカケとなり、アロマで少しだけ習ったクレイを使ってみたり、またちょうど?私が突き指をし、どんどん指が腫れて紫色に変色したときにクレイペーストをのせた瞬間、痛みもはれもひいたのを体験したことで、アロマフランスのクレイ講座を受講し、クレイセラピストにもなりました。

12月には、2021年にすでに存在は知ってはいたネオヒーラーを2年越しに体験し、癒しの効果を確信した事で、ネオヒーラーの施術と販売もしています。

また、なぜだか2023年に出会ったアーティストを無償で応援しようと思った事から、2024年8月にイギリスでのアートの展示会を主催開催と9月にはアイルランドで妖精ツアーを開催しました。

現在、不安を感じても決めたら叶うを実践中。

風のシルフ

Subtle Aromatherapy Healing 会社員時代にアロマやアクセスバーズを体験し、その効果に驚きサロンを開業。 その後もクレイセラピストとしてクレイケアを取り入れ、UE、SE、ネオヒーラーなど多彩な施術を提供。 現在はバーズファシリテーター、アイルランドの精油、ネオヒーラー、TEON椿オイル、水素オイル販売代理店。 多次元セラピーや占星術?も学びながら、癒しと変容をサポート中。

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